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オプトメトリーとの出会い

眼鏡店が生家である私は、大学の3年から夜間の日本眼鏡学校(当時は世田谷区上馬)で学びました。

メガネの度数の決定や、加工技術などの取得とともに、学外への体験として慶応義塾大学の信濃町の眼科外来での視力測定のお手伝いもありました。

そこで、私の担当として、一人の女性の患者さんの裸眼視力の測定をさせていただきました。

普通に歩いて所定の位置で検査を始めたのですが、まったく見えない。

今考えると中心暗点がある方だったと思いますが、もし自分がメガネをお作りするとしても、度数の決定の仕方は眼鏡学校では教えていただいても、こんなケースでは何ができるんだろうかと思ってしまいました。

この事が、もっと違う形で学んでみたいという強いきっかけになりました。

 

翌年になって当時のAJOC理事長であった森文雄さんが、AOAの元会長のDr. Ron Fairを伴って別府に見えられ、ご案内の車中で、「釘宮君、アメリカにいってみないか?」と軽くお尋ねになりました。

この一言で大学卒業後、アメリカの地を次のステップとして踏み出すことを決めることになりました。

 

じつは大学2年生の時にライオンズクラブ国際協会の交換留学制度で、インディアナ州フォートウェインに滞在したことがありました。でもこの時は、インディアナ大学に進むことになることは思いもよらないことでした。

ただホームステイの経験から何とかなるのかなあと、あまり心配もしていなかったようです。

 

大学卒業後、カルフォルニア州Azusaにあるシトラスジュニアカレッジに留学しました。

この学校は、私どもの先輩である津田節哉さんや金井昭雄さんがオプトメトリー習得を目指されてところです。

また在学されていた内藤貴雄さんにプレオプトメトリーの選択から、生活の相談などを親身にしていただいたおかげで、スムーズにスタートすることができました。

法学部政治科卒の学生として、理数系の科目は苦手のはずでしたが、物理の引力の実験や、生物での解剖、化学での実習など、思いがけず楽しく取り組むことができました。

 

当時のコミュニティカレッジは、学部の3年への編入が多かったので、日本人を含めて、イラン、レバノンやマレーシアなどの留学生も多くいました。

ここでの2年間は大家さんの90歳を過ぎたアグネス・ニネマンさんのお宅と、学校、夜は近くのCAL TECHの図書館との往復が主でした。

朝、鳥小屋の戸をあけ、夜はモッキンバードの鳴き声を聞きながら鳥小屋の戸を閉めて、図書館に向かう懐かしい南カルフォルニアの時代です。ちょうどSTAR WARSの第4話がスタートした時代です。

 

オプトメトリストして学位を取るためには、オプトメトリースクールに入学せねばなりません。

プレオプトメトリーの2年間が過ぎ、学校の選考に当たっては当時認められつつあった検査のための目薬の使用が認められた州の学校は、有機化学の取得のためにもう一年必要になっていました。

そこですでに制度として確定していたインディアナ州では、2年間の単位で受けることができました。

結果としてインディアナ大学オプトメトリースクールに学ぶことになりました。

2年間乗っていた空調のない黄色いラビット(VW Golf)にのって、大陸を半分横断することになりました。